本ページはプロモーションが含まれています

筋トレ器具メーカーの過去から現在までを徹底検証

投稿日: 2018年04月10日

筋トレ器具 ダンベル

ジムに行けば実に様々なマシン、パワーラックなどの筋トレ器具が並んでいます。それらの筋トレ器具はメーカーが作っているわけですが、筋トレ器具メーカーの歴史というのは決して古いものではありません。

現在世界的なフィットネスクラブになっているゴールドジムでも、初期の時代は筋トレ器具がまだ手作りであることが多かったぐらいです。筋トレ器具メーカーの過去から現在までを検証することで、筋トレ界の発展の過程が見えてきます。

筋トレ器具メーカーの歴史

Ancient soldier or Gladiator

筋トレ器具メーカーの歴史は世界的に見ても決して古いものではありません。バーベルを作っていたメーカーは第二次世界大戦以前でも存在していましたが、本格的なマシンとなると、ほとんどありませんでした。

筋トレ器具メーカーの歴史はスポーツクラブの歴史と重複します。第二次世界大戦当時であれば、筋トレができる設備があったのはアメリカでもYMCAなどのほんの数ヶ所しかありませんでした。

その後、YMCA以外にも筋トレができる設備が整っていきましたが、1950年代はまだまだでした。筋トレができる本格的なジムができたのはアメリカでも1960年代になってからです。特に目立つのがカリフォルニアで1965年にオープンしたゴールドジムです。1965年ですから今からもう53年前のことです。1964年の東京オリンピックの翌年のことです。

ゴールドジムは現在でこそ世界30ヶ国以上、700店舗以上、会員数300万人を越える世界最大級のフィットネスクラブになっていますが、もともとはカリフォルニアで1軒のジムからスタートしています。創業者のジョー・ゴールド氏のジムということでゴールドジムとなったわけです。

ゴールドジムと呼ばれていますが、正確には「GOLD’S GYM」です。ゴールドさんのジムという意味です。この初代ゴールドジムの様子はアーノルド・シュワルツェネガーが1975年のミスター・オリンピアコンテストを目指す様子を描いたドキュメンタリー映画「パンピング・アイアン」の中に出てきます。

1975年のことですから、ジムにあった筋トレ器具が現在見慣れているものとはかなり違っています。当時としては最新鋭のジムでしたが、現在のようにマシン類はあまりありませんでした。バーベルやダンベルなどのフリーウエイトが中心になっていて、マシンと呼べるものもケーブル系のものが多かったのには時代を感じます。1975年当時は今では当たり前になっている45度のレッグプレスマシンもまだありませんでした。

「パンピング・アイアン」に出てくるゴールドジムが現在のゴールドジムと決定的に違うのは、置いてある筋トレ器具がメーカー製ではなく、ジョー・ゴールド氏の手作りであったことです。ゴールド氏が自ら設計し、鋼材の加工から溶接、塗装まで自分で行なっていました。だからこそゴールドジムだったわけです。現在のゴールドジムは名前は同じでも内容は大きく変わりました。

筋トレ器具メーカーが本格的に発展したのは、その後の1980年代の初期からです。ノーチラスマシンの第1号モデルが完成したのは1970年でしたが、アメリカでも全体的に筋トレ器具メーカーが急激に発展したのが1980年代の初期になってからです。それからの流れの延長に現在があります。

日本の筋トレ器具メーカー

日本の筋トレ器具メーカーで過去から現在にかけての代表的なものをご紹介しましょう。次の4社が代表的なメーカーとして思い浮かびますが、このうちの2社は現在ではもう操業していません。

田崎製作所

かつてはかなり精力的に筋トレ器具を製造販売していたメーカーでしたが、現在は操業していません。バーベルやダンベルの重さが一定していないという、悪い意味でも知られていたメーカーでした。重さが一定していないというのは、例えば、バーベルのプレートに20キロと表記されていても、実際に重さを測ってみると、18キロだったり、21キロだったりと、精度が非常に不安定でした。現在では粗悪品扱いされるでしょう。

業務用のマシンも各種作っていましたが、必要以上に大きかったのが特徴です。もっとシンプルなデザインにすればはるかにコンパクトに作れたでしょう。悪評が多かったメーカーでしたが、ダンベルに関してはシャフトが滑らかに回転して使いやすかったです。

株式会社NIPPYO

株式会社NIPPYOは上記の田崎製作所とは打って変わって、素晴らしい精度で有名な筋トレ器具メーカーでした。

バーベルの精度も素晴らしく、パワーリフティング競技の公式使用バーベルに指定されていました。マシンも素晴らしかったですが、現在ではこのメーカーも残念ながら操業していません。古くからの筋トレ愛好者にとって、この「NIPPYO」ブランドは特別なものでしたから、倒産したときにはショックを受けた人が多かったです。

株式会社NIPPYOの製品はそれは素晴らしいものでしたが、それが原因で業績が悪化を招いたとも言えます。NIPPYO製の筋トレ器具はマシンも非常に頑丈にできていて、まず壊れません。精度も素晴らしく、一度購入したら一生ものと言われていました。しかし、それが会社の寿命を縮めたのかもしれません。

あまりにも頑丈であるために、壊れることがないということは買い替え需要がないということでもあります。昔は現在のようにどんどんスポーツクラブがオープンする時代ではありませんでしたから、高価なNIPPYOの筋トレ器具を購入できるジムは限られていました。現在でも語り草になっている筋トレ器具メーカーでした。

PROBODY

かつては日本ボディビル指導協会という名称で「NE」として知られていました。ボディビル雑誌や少年漫画誌に筋トレ器具の広告をよく出していました。

現在では「PROBODY」という名称で、筋トレ器具の製造販売を続けています。精度という点では前期のNIPPYOには遠く及びませんが、バーベルやダンベルだけでなく、ランニングマシンや、各種の筋トレ器具も作っています。

もともと東京台東区の入谷にあるNEビルで営業していますが、名称がPROBODYに変わってもビルの名前はNEビルのままです。結果的に国内で最も歴史があるメーカーのひとつになりました。

バーベルのウエサカ

現在の日本で最も優秀な筋トレ器具メーカーと言えるのがこの「ウエサカ」です。バーベルの精度と使用感が素晴らしく、オリンピックの重量挙げ競技の公式使用バーベルになっています。ウエサカのバーベルはシャフトだけでなく、プレートの精度も素晴らしいのは旋盤を使って機械加工されているからでしょう。

シャフトもプレートも非常に高価ですが、値段に負けない価値があります。ただし、ウエサカの20キロシャフトはウエイトリフティング用に作られていますので、普通の筋トレで使うには、しなりが強過ぎるきらいがあります。デットリフトやスクワットを行なうには、しなりが強過ぎると感じるでしょう。

外国の筋トレ器具メーカー

上記は日本国内のメーカーについての話ですが、次に外国の筋トレ器具メーカーについて述べてみたいと思います。

IVANKO

現在、外国の筋トレ器具メーカーで最も元気なのがこの「IVANKO」です。

大手のスポーツクラブにあるバーベルやダンベルのシェアがナンバーワンです。どこのスポーツクラブにもIVANKOのバーベルが置いてあるような感じになっています。それだけ品質が素晴らしいからでしょう。IVANKOのバーベルはたしかに精度が素晴らしいですが、かつてのNIPPYOや、現在のウエサカにはかないません。

ノーチラス社

外国の筋トレ器具メーカーで老舗と呼べるのがノーチラスマシンで知られるノーチラス社です。

ノーチラスマシンの第1号モデルが完成したのが1970年でした。作ったのはノーチラス社の創業者のアーサー・ジョーンズ氏です。初期の頃のノーチラスマシンは競技者やボディビルダーをターゲットにして、このマシンだけで究極の肉体を作ることを目指していました。

しかし、創始者のジョーンズ氏亡き後、現在のノーチラスマシンは方向転換をして、一般大衆向きのマシンを作っています。値段が高いだけあって、作りも動きもしっかしたマシンではありますが、かつてのノーチラスマシンとは印象がかなり変わっています。

まとめ

筋トレ器具メーカーの過去から現在までを検証してみました。

筋トレ器具メーカーの歴史は意外なほど短いです。現在の筋トレブームを見れば、さぞ古い歴史がありそうなものですが、ほとんどのメーカーは古くても1980年代以降の創業です。1970年創業のノーチラス社が最古の部類の老舗なことを考えると時代の流れの速さを感じます。

1980年代から筋トレ器具メーカーとして有名だった「ICARION」や「ポラリス」といったメーカーは現在もう既にありません。日本の老舗メーカーでも倒産してはいますが、アメリカのメーカーの栄枯盛衰は日本とは比べものにならないほど早いです。

アメリカの筋トレ器具メーカーが簡単になくなってしまうのは、アメリカのビジネス風土も影響しているでしょう。

アメリカは企業のM&Aが日本では考えられないほど盛んです。何でも売り時だと判断したら簡単に会社を手放します。そういう感覚なので筋トレ器具を一生懸命作っていても、あるときさっさと会社ごと売ってしまいます。筋トレ界の変化の早さを象徴しています。